【世界一蹴の旅】32カ国訪問の中で最も印象に残った国は間違いなく北朝鮮

ワールドカップ出場32カ国を巡る世界一蹴の旅を10年前と同じ日付で振り返るシリーズ。

世界一蹴とは何ぞや、を説明した記事はこちら↓

遂に旅の前半戦のハイライト、北朝鮮に突撃した話を書こうと思ったんですが、2年前に旅の相棒ヨモケンと対談形式で振り返ったこのJ論コラムが実に生々しいので、この原稿をそのまま再掲しようと思います。

アシシ:世界一蹴してどこの国が良かった?って質問、もう何百回とされてると思うけど、ヨモケンはいつも何て答えてる?

ヨモケン:やっぱり北朝鮮でしょ。鉄板だよね。誰に話しても強烈なインパクトだと思うよ実際。

アシシ:意気揚々とワールドカップ出場32カ国巡ります!と宣言して日本を旅立ったわけだけど、その後に北朝鮮がまさかの予選突破を決めて、勘弁してくれと(笑)。

ヨモケン:企画書には免責事項って感じで最後に「北朝鮮が出場を決めたら、その限りではありません」とか言い訳書いてたけど、結局は行く決断をしたんだよね。

アシシ:アジアを旅しながら、インターネット経由で入国手段とか、過去に行ったことのある人のブログとか、めっちゃ調べたよね。最終的には中国の旅行代理店経由で3泊4日のツアーにひとり日本円で14万円で申し込んだわけで。

ヨモケン:当時、北朝鮮に行くことは自己責任で済まされることかどうかって議論したよね。

アシシ:当時はまだFacebookやツイッターはまだ流行ってなくて、俺は確かmixiで友人限定で「北朝鮮に行きます」と日記書いたらたくさんの人に反対されたんだよね。

ヨモケン:なんかあっても自己責任だって俺らが主張してたら、自己責任の範疇を超えていると。もし何かあった時に政府が出ていって、たとえば身代金を何億円払ったりしたもんなら、それは国民の税金なんだと、それはもはや自己責任の範囲を超えているって言われて、ぐうの音も出なかった。

アシシ:仮に当時ツイッターが全盛期だったら、北朝鮮行く前に確実に炎上してただろうね。

ヨモケン:何より、生きて帰ってきてよかったよね。何事もなかったから今は笑える話で済むけど。

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北と南それぞれの論理で展開されるプロパガンダ

アシシ:2009年8月、中国の国境の町、丹東から鉄道で入って、平壌まで寝台列車で8時間。その時撮った動画、今やYoutubeで20万回以上再生されてるわ。


ヨモケン:平壌に着いたら、ツアーガイドという名の監視員2人が駅で出迎えてくれて、日本語が流ちょうに話せる人たちで、2人とも名前はキムですって。区別できないから下の名前を教えてって言ったら、1号と2号でいいですよって。余計恐いわ、本名教えてよって(笑)。

アシシ:キム1号が上司で、なぜか関西弁なまりで、歳は40代くらいかな。昔日本と国交があった時はよく日本に行ってたって。キム2号は1号の部下みたいな感じで、こっちは海外経験なさそうで、日本語もちょっと片言だったよね。

ヨモケン:3泊4日の旅程は基本、キム1号2号が僕ら2人にマンツーマンでついて、ホテルの部屋にいる時以外は常に同じ行動を取るの。もうひとりドライバーがいて、5人セットでバンに乗って、平壌市内や韓国との国境にある板門店を観光する感じ。

アシシ:板門店までの片道2時間ドライブの車内で、キム2号との会話が結構衝撃だったの。「村上さん、朝鮮と南朝鮮はなんで分かれたか知ってますか?」って聞かれたの。

ヨモケン:北朝鮮の人たちは自分たちのことを朝鮮と呼んで、韓国のことを南朝鮮と呼ぶんだよね。

アシシ:「えー、戦争の結果分かれたんですよね?」と答えたら、「違うんです。元はと言えば日本のせいなんです」って。

ヨモケン:マジで?みたいな。

アシシ:そんなの世界史で習ってないし、北朝鮮国内ではググれないから「へーそうなんですかー」と当たり障りなく答えといたけど、キム2号曰く、北と南に分かれたのは、元々日本が朝鮮半島を植民地にしていた時に、北緯38度線で県境みたいなのを日本が作ったんだと。それの名残で、戦争が終わった時、ソビエトとアメリカで領土分けようとなった時に、日本がここで分けてたから今回もここで分けようと。だから日本のせいだって。

ヨモケン:すごい論理(笑)。

アシシ:真相確かめたいから、出国して当然ググるよね。そしたらどこにもそんな話は書いてなくて。もしかしたらキム2号の主観が入っているかもしれないけど、どうにかして日本を悪者にしようとする国の方針みたいなのが垣間見れて、プロパガンダって怖いなと思った。

<平壌市内で撮影したプロパガンダの壁画>

ヨモケン:プロパガンダの話でいうと、俺も感じたことがあって。俺は北朝鮮と韓国の国境にある板門店に北側と南側、両方から行ったことがある世界的にも数少ない人間だと思うんだけど、板門店にはJSAっていうジョイント・セキュリティ・エリアというものがあって、韓国が警備する時間、北朝鮮が警備する時間と入れ替え制になってるのね。

アシシ:たしかにあの国境線がある建物は、北と南に扉があったよね。

ヨモケン:そこに韓国側から入った時は、やぶれたジーパンとかでは行かないでくださいって言われて。北朝鮮の人はジーパンとかおしゃれとかわからないから、ちゃんとした格好で行けっていうルールがあるの。そういった西側の視点で板門店を訪問して、北朝鮮の兵士を双眼鏡で覗いてみると、カーキ色の薄汚い服装で、共産国ってお金ないんだな、悪の枢軸かわいそうだなと感じるわけ。それに比べて、俺たち西側の兵士は「UN」と書いてあって、いかしたサングラスして我が軍はカッコいいと感じるわけですよ。これは完全に西側の論理。

アシシ:そして今度は北側から行ってみたと。

ヨモケン:キム1号2号に説明されて、朝鮮統一三原則みたいなのがあって。朝鮮による朝鮮のための統一とか書いてあるわけですよ。どういうことって聞いたら、戦争で北と南に分かれちゃったんだけど、それはバックにアメリカとソ連がいたんだと。でももう今はソ連はいないだろ。南にはまだ米軍が駐留している。アメリカ軍のせいで南朝鮮が傀儡政権になっている。あんなガンがいるから、俺たちは統一できないんだと、わかりますか?と聞かれたら、そこの話だけ聞いたらアメリカ超悪いじゃんってなる。


<板門店で北朝鮮側の兵士と記念撮影>

アシシ:たしかに俺も車内で「そうですねー」って相槌うってた(笑)。

ヨモケン:アメリカさえいなくなれば、朝鮮半島の人たちが手を合わせて同じ民族で念願の統一ができるのにと熱く語られて、ふむふむと思いながら38度線の板門店にたどり着くわけですよ。そういう北側の論理を聞いた上で、今度は北側から南側の警備を双眼鏡で覗いてみると、ぐりぐりっとしたサングラスをした、いかつい国連軍兵士がのっそりと立ってるわけですよ。「あれが悪の枢軸米軍率いるUNですよ」と言われたら、まさにそうやって見えてしまう。北と南、それぞれの論理があるんだなってのを知れたのは、すごく良い経験になったと思う。

アシシ:まさに戦争っていうのは正義と悪の戦いではなくて、正義と正義の戦いなんだっていう結論にたどり着くよね。


<2009年当時の平壌の街並み。移動中の車内から撮影>


<平壌市内の交差点の一部は信号がなく、警官が手信号で交通整理をしていた>


<世界最大規模のマスゲームイベント、アリラン祭にも足を運んだ>


<ツアーの中で平壌の地下鉄にも乗車した>

北朝鮮訪問の経験は人生の財産

ヨモケン:こうやって振り返ると、キム1号2号との会話は本当に色んな示唆があったよね。

アシシ:俺が覚えてるのはキム1号に「朝鮮人にとってアメリカと南朝鮮と日本、嫌いな順に並べたらどうなるかわかります?」って聞かれて。

ヨモケン:また、何ともリアクションしづらい質問(笑)。

アシシ:さすがに「わかりません」って答えたけど、正解は「アメリカ>日本>南朝鮮」の順で嫌いなんですと。アメリカが悪の根源であって、それの味方をしている日本と南朝鮮が嫌いと。とはいえ、南朝鮮は同一民族で将来的には統一したいから日本の方が嫌いという形。その論理で考えたら、今のミサイル問題ってちょっと見えてくるものがあって、ミサイルの標的はあくまで悪の根源アメリカであって、辻褄が合う。かといって日本が安全ってわけでは決してないんだけど。

ヨモケン:北朝鮮現地に行ったからこそ知れた知識だよね。

アシシ:数年前にキューバがアメリカと仲直りして国交回復したじゃない?今やもう、独裁政権で四面楚歌の国って世界的に見ても、北朝鮮くらいしかない。そういったほぼ「鎖国状態」の国に足を踏み入れた経験って、何物にも替えられない人生の財産だと思うわけですよ。

ヨモケン:俺も北側の論理をじかに聞けたってのが大きいな。フラットに見てアメリカ側の論理が正しいと当然思うけど、彼らなりの論理、彼らがどういう教育を受けてそうなっているのか、の背景を知れたという意味では、非常に意義のある北朝鮮訪問だったと思う。



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