今更ながら僕がコンサドーレのサポーターになった経緯を説明してみる

僕が世界一蹴中に、ブログで「コンサドーレのサポーターになる!」とブラジルの地で宣言してから10年の月日が経ちました。

改めて、なんで僕がコンサドーレのサポーターになったのか、その経緯を説明しようと思います。

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学生時代に初めての挫折をサッカーで経験

コンサドーレがクラブとして創設された1996年は、僕自身の「サッカー暗黒期」でした。

中学の時に在籍していたサッカー部が強豪校で、レギュラーを取れなかった挫折感から、中3の中体連の前に僕はサッカー部を辞めて、高校受験に専念することにしました。人生初の「挫折」って奴ですね。

高校と大学の期間は、ちょっとばかり嫌いになったサッカーという競技を自分から遠ざける生活をしていたため、Jリーグ開幕の93年、地元の札幌にクラブが創設された96年と、サッカーに興味がない時期が続いていました。

社会人デビューした2000年以降、仕事の後によくフットサルに誘われるようになり、経験者の僕はそれなりにハマるようになって、プレーする方も観戦する方も段々とサッカー熱が高まってきて、2002年の日韓W杯は日本の4試合ともパブリックビューイングに行くなどして、それなりに盛り上がりました。

そして2005年コンフェデ杯をドイツでスタジアム生観戦して、サッカー日本代表のアウェイ戦の虜となり、2006年ドイツW杯を契機に会社員を辞めました。

10年前、ブラジルの地で札幌サポーターになる事を宣言

そこからずっと、日本代表サポーターとして活動するようになりましたが、Jリーグにはひいき目で見るクラブを持たない状態が数年続きました。

日本代表サポーターの中では、代表の応援と並行してどこかのJクラブのサポーターもやっている層が圧倒的に多くて、僕みたいなJクラブのどこも応援しない代表サポーターは「にわかファン」として揶揄されたりもしました。

更に各国を旅しながら世界中のサッカーフリークと話をすると、決まって「お前はどこのクラブのサポーターなんだ?」と聞かれるんです。自分の愛するクラブを持っていない状態に段々と引け目を感じてきました。

そしてワールドカップ出場32カ国を巡る世界一蹴中に、サッカー王国ブラジルのリーグ戦(サンパウロ対サントス)を現地観戦し、自クラブの勝敗に一喜一憂する両チームサポーターを目にして、積年の思いからサポーター宣言をしたのが2010年2月11日でした。

後だしジャンケンで、関東圏の強いチームを応援することも可能でしたが、郷土愛が強い僕はどこのサポーターになるかは札幌一択でした。

当時のブログ↓

あれから10年の月日が経ち、今やコンサドーレのスポンサーをやるようになり、Yahoo!個人ではほぼ8割方がコンサの記事ばかり書くようになりました。もう「にわかサポ」からは脱することができたのではないかなと。

ということで、世界一蹴ブログの10年前回顧シリーズのブラジル編はいつもと違う趣でお送りしました。次の訪問地はカナダ・バンクーバーです。


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