カイザースラウテルンの悲劇を振り返る あの屈辱がサポーターにもたらしたモノとは

2006年6月12日、僕はドイツのカイザースラウテルンにいた。

人生で初めて、ワールドカップを現地観戦した日だ。日本代表の対戦相手はオーストラリア。

ヨーロッパ特有のカラッとした天気に、突き抜けるような青空。

スタジアム周辺はまさにフェスティバルのような雰囲気だった。当時僕は28歳。いちサポーターとして単にサッカーを観戦するだけなんだけど、高揚感が半端なかった。

ちなみにこの写真(↑)、Wikipediaの「日本の国旗」のフェイスペインティングの箇所で、なぜか違うアングルで他人が撮影した写真が10年以上使われているw

普段東京で、フットサルを定期的にやっていたメンバーがドイツに集結。

世界中が注目する世界最高峰の舞台に、日本代表を応援する「当事者」として参加できる喜び。

今となってはワールドカップに4回連続で現地に行っているので新鮮味を感じなくなったが、「人生初のワールドカップ」を目前に控えたこの瞬間の「気持ちの昂ぶり」は、今思い出しても鳥肌が立つ。

そして、運命のキックオフ。

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悲劇を引き起こした「魔の8分間」

日本代表は前半26分に中村俊輔のクロスがそのままゴールに入るラッキーな形で先制し、スコアは1-0のままで試合終盤へ。

後半も残り10分を切り、僕らは浮かれていた。

「これ、勝てるんじゃないの?」

だがしかし、後半39分にオーストラリアに同点弾を献上。

「まだまだこれから!このままでも勝ち点1だし!」

そして後半44分、オーストラリアに逆転弾を献上。

「あれ?もしかして負けちゃうのこれ?」

とどめは後半47分、オーストラリアにダメ押し弾を献上。

「……なんか変な夢でも見てるのかな?」

勝ち点3が取れそうだと浮かれていた境地から、地獄の底へ突き落とされた「魔の8分間」。

人生初のワールドカップ現地観戦で、こんな悲劇を目の当たりにするなんて、想像だにしていなかった。

試合後、肩を落としながらカイザースラウテルンの街をとぼとぼと歩いていると、勝利に酔いしれているオーストラリア人に陽気に「I’m sorry!」と何度も声をかけられた。

6月のドイツは夜10時過ぎになってもまだ明るい。満席になったレストランバーのテラス席で、延々と祝杯をあげているオージーたちが心底羨ましかった。

今思い返すとこの経験こそが、次こそは勝利の瞬間を味わいたいと渇望するようになり、あれから4大会連続でワールドカップに足を運ぶ原動力となったとも思う。

そういう意味で、僕にとって「カイザースラウテルンの悲劇」は、サポーター人生の原点となった経験と言える。

この屈辱を体験したからこそ、4年後の2010年南アW杯初戦のカメルーン戦に1-0で勝利した時、人一倍に喜びを噛みしめることができたんだと思う。

こうやってワールドカップの魔力にとりつかれてしまった僕は、4年に1度のワールドカップを人生のマイルストンに設定して、W杯中心の人生を歩み始めることになるのでしたw

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