【ドキュメンタリー】日本代表サポ、もうひとつの死闘

※昔のブログから移行してきました

今日の日記は無駄にドキュメンタリーチックに仕上げてみます。試合の動画や写真は明日以降にうp予定です。

超鬼長文です。お時間ある時にお読みください。

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7月28日土曜日。

クアラルンプールで迎える2日目の朝。窓を開けると、すがすがしい朝日が部屋に注ぎ込む。

シャワーを一浴びした後、ベランダに出て、バスタオルで伸び放題の髪を拭きつつ、眼下のチャイナタウンに広がる露店達の朝支度を眺める。

「なんて平和な光景なんだろう」

そこは、ピースフルな空間で満ち溢れていた。鼻歌を歌いながら、何事もなく旅支度に取り掛かる。

今日これから降りかかる、想像を絶する苦難を知る由もなく。。。

午前9:30。ハノイにて共に戦ってきたサポーター、ミツ、アッキー、イガと共にタクシーにて空港に到着。フライトは11:55発、エアアジア便のインドネシア・パレンバン行き。我が日本代表のアジアカップ最終戦が行われる地だ。

レストランでみなで軽く朝食を食し、1人でパレンバンに向かう予定だった日本代表サポ、はまちゃんとくろさんとも知り合いになり、いざチェックインカウンターへ。

我々:
「パレンバンまで行きたいんですが。これがチケットです」

係員:
「VISAは持ってますか?」

我々:
「現地でゲットする予定ですけど」

係員:
「パレンバンではVISA発給のサービスをしていない空港なので、ダウンタウンに戻って大使館で発給してもらわないと、この便には乗れませんね」

我々:
「は???」

障害発生時刻、10:15。

パレンバンでのキックオフ時刻、19:35。

タイムリミット9時間20分の、壮絶なドラマの幕が切って落とされた。

大使館に戻っていては、今日の便でのパレンバン入りは不可能。

「とにかく乗せてくれ。あっちでのVISA問題は我々で何とかする。最悪センドバックも辞さないから」と懇願するも、「それは無理」の一点張りを続ける係員。

有効な代替案として挙げられたのが、パレンバン行きの航空券を破棄し、ジャカルタへ飛び、VISAをゲットした上で、パレンバンに向かう案。

エアアジアにてジャカルタ行きの空き状況を確認するも、全便満席。

他の航空会社のジャカルタ行き空き状況を調べようとしたが、クアラルンプールの空港は、エアアジアのターミナルとその他航空会社のターミナルは、連絡バスで20分かかる場所に位置するため、現時点では確認不可能。

ということで、エアアジアでの他の代替案を潰してくアシシ組と、ターミナルを移動し、他の航空会社の航空券ゲットに奔走するミツ組に別れ、Go To Palembangの道を探ることに。

アシシ組はまず、book fullのジャカルタ行きの便に対して、キャンセル待ちを申し込むも、さすがエアアジア、そんなサービスはやっていないと却下される。

同時並行でノートパソコンを開き、ジャカルタ以外でVISAをゲットできる都市をいくつか挙げてみるも、パレンバン行きの乗継がうまく繋がらない経路になってしまい、これも却下。

ここで、同様の障害に遭遇し、途方に暮れている報道関係者3名と合流。計9名のGo To Palembang 運命の共同体となり、今後行動を共にすることに。

ミツ組の後を追い、連絡バスに飛び乗る。11時15分。既に障害発生から1時間経過。

携帯で連絡を取りながら、彼らと合流。ミツは他の航空会社を走り回っているというので、イガからステータスを聴取。

ガルーダ航空はクアラルンプール→ジャカルタの便は用意できるも、ジャカルタ→パレンバンは全便満席。カタール航空も全滅。

11時45分。既にキックオフまで8時間を切った。

万事休すか。。

みんなで途方に暮れていたその時。ミツが息を切らしながら登場。

「ライオンエアーでいけそうです!」

起死回生の一発にて、事態を進展させる。

いざみんなでライオンエアーのチケットカウンターに小走りで大移動。

13:30発のジャカルタ行きの便は9人分抑えることは可能とのこと。ただし、ジャカルタ→パレンバンの便は、こちらでは国も違うので、予約はできない。ジャカルタにて各自でチケット購入してくれと、スタッフはのたまう。

ここでジャカルタ→パレンバンのチケットを手に入れておかない限り、トランジットに乗り遅れる可能性が高い。

頑固なスタッフを落とすための手段として、ノートパソコンを立ち上げ、ライオンエアーのサイトにて、16:50ジャカルタ発パレンバン行きのチケットをブッキングし、その画面をスタッフに見せることで事態の打開を図る。

スタッフの回答は、なんとOK。

ここで一度全体ミーティングを実施。現状ステータスの共有を9名で行う。

・各自、2台あるノートPCにて、自分名義にてブッキングを行いながら、このカウンターにてチェックイン作業を行うこと。

・手の空いているメンバーで、同時進行にて662リンギ×9=5958リンギの現金キャッシュをATMから下ろすこと。

・かつ、その作業中、常に9人分の荷物を集約している場所に荷物見張り番を付けておくこと。

などを確認。

全体ミーティング終了時刻、12:30。

Departure時刻まで残り1時間。全作業において手戻りは許されない緊迫した環境の中、時間は刻々と過ぎていく。

全てのタスク完了時刻、13:05。

この事態に特別に配置された空港係員に連れられ、ショートカット経路を通り、Immigrationへ向かう。さながら、日本代表のよう。

13:30ちょうどに9人全員の搭乗完了。

まずはGo To Palembangの第1関門を辛うじて突破。空の上でしばしの休息の時間。ただし、ライオンエアーでは食事が出ないため、全員昼食を抜いた上でジャカルタIN。

ジャカルタ到着時刻、14:45。パレンバン行きの飛行機離陸まで残された時間、2時間5分。

VISA取得を難なく済ませ、Domestic Transitに向けて小走りで向かう中、ミツが突然こう叫んだ。

「僕らの預けた荷物、Baggage Lineに流れてますよ!」

本来、乗継でパレンバンに直で届けられるはずの預けた荷物が、ベルトコンベアーの上をしれっと流れているではないか。

近くにいる係員に、これは取るべきか取らないべきか聞いてみるも、明確な回答が返ってこないため、ロストバゲッジするリスクを避けるべく、その荷物を取り、一度入国手続きを行い、再度国内線チェックインという手段を取ることを決断。

入国審査を通り、ターミナルバスに乗り、いざ国内線Departure Gateへ。

15:30。離陸まで残り、1時間20分。

クアラルンプールでゲットした手書きの航空券を見せるも、別の航空券を見せられ、「このチケットはもらわなかったのか?」と詰問される。

「そんなのもらってないし、既に支払いも済ませてる」と突っぱねると、その係員は9枚分のチケットを集め、裏に消える。

15分待ち続けた時間は、途方もなく長く感じた。

再度表に出てきた係員は、おもむろに部下を呼び掛け、9枚分のチケット発行をマニュアル対応にて行わせることを指示。

9枚の手書き航空券情報を元に、モニターに向かい、各自の個人情報を入力しつつ、モニター右側の航空機座席表の空きシートを埋めていく地道な作業。

そのモニターを覗き込んでみると、現在9枚中3枚目の処理をしている段階で、空き座席が5席。

血の気が引いた。

無作為に選ばれた2人が、この地ジャカルタにて脱落するのか?

運命の8人目の作業に取り掛かる際、奇跡は起きた。

ビジネスクラスの空き状況が更新され、そこに4~5席の空席ランプが灯ったのだ。

神は僕らを見放さなかった。

16:30。我が9名のソルジャー達は、戦場に向かう最終切符を手にし、搭乗ゲートに向かった。

出発が30分遅れ、17:20離陸。

パレンバン着陸時刻、18:15。

キックオフまで残り1時間20分。

先にパレンバン入りしている同志に携帯で連絡をし、スタジアムにてダフ屋からチケット購入が可能であることを確認し、いざスタジアムへ。

スタジアム到着時刻、19:15。

ダフ屋から難なくチケットを入手し、スタジアムイン。

20070728soccer01

国家斉唱に間に合った。。。。。。。。

昼飯も夕飯も宿の予約も取らず、重たいバックパックを背負いながら、辿り着いたこのスタジアム。

ここまで何かが込み上げてくる君が代は初めて聞いた。

何度挫けそうになったことか。何度諦め掛けたことか。

ただし、僕らは奇跡を信じた。

何が何でも辿り着いてやる、というアツい気持ちを常に持ち続けた。

試合には負けたが、僕ら運命共同体の9名は、確実に勝利を勝ち取った。

2007年7月28日、僕はこの日を一生忘れない。

共に戦った9名の戦士達に、この場を借りてお礼を言いたい。

ありがとう。

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