幸せの基準

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「幸せって何?」

 

ありふれた質問であり、誰もが一度は自問したことがある問いだと思われる。

人それぞれに答えがあり、各々の答えに正解不正解はない。いや、それぞれが導き出した解が全て正解とも言える。

 

ここに、30歳の自分にとっての解を記しておこうと思う。

 

人生には様々な「事象」がある。

仕事・恋愛・家族・お金・趣味・健康・地位・・・

レベル感や切り口が一元的ではないので、全てを同階層に並べること自体、若干理不尽だが、これらの事象に対して、大まかな優先順位をつけることは可能だと思われる。

で、その優先順位には頭の中で考えるものと、実際の行動結果として表れるものと、2つ存在するわけで、自分が考える「幸せの基準」というものは、その「理想の優先順位」と「現実の優先順位」が完全一致していれば幸せなんじゃないかと。

それぞれの事象ひとつひとつの中で幸せの度合を測る以前に、まずはそれぞれの事象の優先順位における理想と現実が合っていることが重要なんじゃないだろうか、そう思うわけで。

例えば、仕事もできて、お金もあって、バリバリ働いてるリーマンがいたとする。その人の「理想の優先順位」が仕事、お金、地位でベスト3を形成しているならば、間違いなく彼は幸せである。がしかし、もし彼が「趣味」という事象を最優先したいのに、仕事のせいでできないという状態ならば、どんなに裕福そうでも、趣味に没頭できない現状は彼にとって幸せとは言えないだろう。

要するに、世間の様々なしがらみの中で、理想の優先順位と現実の優先順位との紐付けが絡まってしまうと、たとえそのひとつひとつの事象の幸せ具合がMAXでも、その絡まった紐をほどかない限り、本当の幸福感は得られないと考える。

 

かつ、この「理想の優先順位」というものは、時と共に変わってくるところが、非常に厄介だと思う。

社会人成り立ての頃は、地位や名誉に眼がいきつつ、20代後半になれば、仕事とプライベートとの両立を命題とし、三十路前後で家族にシフトする人もいれば、「人生=旅!」とか誰かの真似して、とんでもない方向にぶっ飛んでく輩もいる。

歳を重ねると共に、変化する理想の優先順位に合わせて、現実の優先順位も柔軟に入れ替えていく姿勢が、自らを幸せにする鍵となるんじゃないだろうか。

 

三十路になって、初めてそんな思想に辿り着いた。

きっとこんな考え方、相当ありふれてるし、どっかの本に書いてあるはずだが、それでいいと思う。自分自身の思考回路にて結論付けたそのプロセスに意義があると思うから。

数年後に、また違った幸福論をここに記したいと思う。

(2007/11/26)

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