※昔のブログから移行してきました
雲の隙間から零れた夕日が海を照らす。
この景色を丸太に座りながら眺めていて、思ふこと。
「なんて時の流れが穏やかなんだろう」
バンクーバーにワーホリとかで来てる友達が、よくこう言う。
「毎日あっという間に時間が過ぎてくよー」
それを聞く度に自分は、こう切り返す。
「そうかな?俺にとってはメッサ穏やかだけど」
実際問題、東京でリーマンしてた時の方が数倍、時の流れが早かった。ある意味、激流だった。
金曜日になって「え!もう週末?」って毎週思ってたっけ。火曜とか水曜の記憶がないことも多々あり。マシィーンの如く、ただただタスクをこなす日常の中で、”今”を噛み締めることもできず、その激流に呑まれ、無抵抗のまま流される日々。
それに対して、今はどうだろう。
時の流れは、澄み切った小川のせせらぎ、とでも言えるだろうか。
ここまで「今この瞬間」を味わいながら生きてきたことは、今の今まで有り得なかった。
これはバンクーバーで生活してる時期に限った話ではなく、旅をしてる時にも感じたことである。
ウィスラーでもカナディアンロッキーでも、旅立ってから3日目とかにふと、旅の同志と2日前のことを思い出してみて、こんな会話をよくしてた。
「おとといバンクーバーを出発したとか考えられる?もう1週間くらい経ってる気がすんだけどw」
要するに東京でリーマンサイボーグしてた時と比較して、逆転現象が起きているわけで。
納品Dueに追われながら、グリグリ成果物レビューしてたのは、事実として去年の4月なわけだが、どう考えても遥か何年も昔にしか感じられない。
ここまで緩やかに時が流れてくれると、なんだか人生得した気分になる。
たとえ、東京アスファルトサバイバルにまた身を投じることになっても、この感覚を大切にしていきたい。
「永遠」と「一瞬」、それは表裏一体のもの
Eternity and moment are just like two sides of the same coin.
何年も前に、作詞中にふと綴った詩。
時間の流れとは、時に無情で、時に残酷で、時に儚い。
“今”は、この時においては、”今”でしかない。その”今”でしか有り得ない”今”をどう生きるか。
その人の人生の生き方次第で、”今”は「一瞬」とも「永遠」とも成り得る。
カナダの地で、上の詩を綴った時には考えもしなかった意味を、その詩に与えてみた。
我がバンクーバーライフも残り20日。思う存分、刹那を生きようと思う。