「今を生きる」ということ

※昔のブログから移行してきました

雲の隙間から零れた夕日が海を照らす。
20070611englishbay
この景色を丸太に座りながら眺めていて、思ふこと。

「なんて時の流れが穏やかなんだろう」

バンクーバーにワーホリとかで来てる友達が、よくこう言う。

「毎日あっという間に時間が過ぎてくよー」

それを聞く度に自分は、こう切り返す。

「そうかな?俺にとってはメッサ穏やかだけど」

実際問題、東京でリーマンしてた時の方が数倍、時の流れが早かった。ある意味、激流だった。

金曜日になって「え!もう週末?」って毎週思ってたっけ。火曜とか水曜の記憶がないことも多々あり。マシィーンの如く、ただただタスクをこなす日常の中で、”今”を噛み締めることもできず、その激流に呑まれ、無抵抗のまま流される日々。

それに対して、今はどうだろう。

時の流れは、澄み切った小川のせせらぎ、とでも言えるだろうか。

ここまで「今この瞬間」を味わいながら生きてきたことは、今の今まで有り得なかった。

これはバンクーバーで生活してる時期に限った話ではなく、旅をしてる時にも感じたことである。

ウィスラーでもカナディアンロッキーでも、旅立ってから3日目とかにふと、旅の同志と2日前のことを思い出してみて、こんな会話をよくしてた。

「おとといバンクーバーを出発したとか考えられる?もう1週間くらい経ってる気がすんだけどw」

要するに東京でリーマンサイボーグしてた時と比較して、逆転現象が起きているわけで。

納品Dueに追われながら、グリグリ成果物レビューしてたのは、事実として去年の4月なわけだが、どう考えても遥か何年も昔にしか感じられない。

ここまで緩やかに時が流れてくれると、なんだか人生得した気分になる。

たとえ、東京アスファルトサバイバルにまた身を投じることになっても、この感覚を大切にしていきたい。

「永遠」と「一瞬」、それは表裏一体のもの

Eternity and moment are just like two sides of the same coin.

何年も前に、作詞中にふと綴った詩。

時間の流れとは、時に無情で、時に残酷で、時に儚い。

“今”は、この時においては、”今”でしかない。その”今”でしか有り得ない”今”をどう生きるか。

その人の人生の生き方次第で、”今”は「一瞬」とも「永遠」とも成り得る。

カナダの地で、上の詩を綴った時には考えもしなかった意味を、その詩に与えてみた。

我がバンクーバーライフも残り20日。思う存分、刹那を生きようと思う。

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