コンサドーレ新キャプテン荒野拓馬の「行動」に批判が集まっている件を考察する

コンサドーレは、昨年まで8年続けてキャプテンを務めた聖人・宮澤裕樹のあとを継ぐ形で、今季から暴れん坊将軍・荒野拓馬が新キャプテンに就任しました。

その後、チームの成績が低迷するのと並行して、荒野拓馬の「行動」に批判が集まっています。

・負け試合の後に、ベンチにキャプテンマークを投げ捨てる
・試合中にボディーコンタクトのあった対戦相手に対して感情的になったシーンが中継で抜かれる(今日のルヴァン杯富山戦)

「キャプテンとは品行方正であるべきなのに、荒野拓馬のはあるまじき行為だ!」と憤っている札幌サポーターをXのタイムラインで多く見かけます。

これは、典型的な「認知的不協和」だなと感じます。

「キャプテンの理想像を各自が持っていて、その理想像から逸脱する行動を荒野拓馬が連発する」状態で、その矛盾を各自が堪えきれず、Xで不平不満を放出しているというわけです。

認知的不協和を解決する方法

認知的不協和の解決方法としては、単に愚痴を連発するという形もありなんですが、もうひとつのソリューションがあります。

それは自分自身の「認知」を置き換える、というものです。

「キャプテンとは品行方正であるべきだ」という固定概念を捨ててみる、というのも僕はひとつの選択肢としてありだと思っています。

キャプテンという役割を、ビジネスの職場のマネージャー的な位置付けで見ている人が多いように感じますが、実際サッカーのキャプテンに求められるものは、ビジネスのそれとかなり異なると思うんですよね。

当然品行方正という要素は、あった方がいいかもしれませんが、Must要件ではないはずです。特にサッカーという「闘う」要素が強い現場では。

負けた時にキャプテンマークを投げて怒りを表現したり、ボディーコンタクトがあった時に感情的な対応をしたり、そういった感情がコントロールできないような選手でも、チームメンバーから慕われて、チームを引っ張っていく気概を持っていれば、キャプテンは務まるのではないでしょうか?

これは、あくまで認知的不協和を解決するためのひとつの考え方です。そりゃ、日本代表の長谷部誠みたいなキャプテン像を長年見てきたサッカークラスタが、荒野の行動にキレ散らかすのも理解はできます。

批判するならフロントでは?

あと、ひとつ言えるのは、荒野本人を批判するのは、対象が間違っているかなと。本来批判するなら、荒野をキャプテンに任命したフロントかと思います。

そもそも、荒野拓馬という選手は、名前の通り「荒ぶる馬」なんですよ。

相手PK時にPKスポットをシューズでごりごり掘って叱られるような選手です。報復行為で相手を蹴って一発退場するような選手です。

そんな卑怯な手段を使ってでも勝利に貪欲な、根っからの感情的な選手が、キャプテンマークを腕に巻いただけで聖人君子に変身できるわけがないんですよ。

フロントは、そういったアンガーマネジメントができない選手でも、彼をキャプテンに任命することで得られるものがたくさんある、と評価した上で決断したんではないかと仮説を立てています。

現時点ではチームの成績がどん底なので、荒野の新キャプテン効果ってのは一切出ていません。そういう意味で彼に批判が集中するのもしょうがないとも思うんですが、ならば根本の問題は任命したフロント側にありますよね。

とはいえ、まだ新キャプテンに就任して4カ月です。見切るのは早い。拓馬がそれこそ、新しいキャプテン像を切り拓く可能性もあるわけです。

僕はやんちゃな荒野が、キャプテンマークを巻いて、色んな部分で葛藤しながら徐々に成長していく姿を温かく見守っていきたいなと思います。

あくまで僕個人の意見です。反対意見もあるでしょう。人それぞれ、好き嫌いがあるのも当然です。誹謗中傷だけはお控えください。

最後に告知。

6月28日金曜夜に、札幌のEZOHUBで「働き方」無料セミナーを開催します。本題は「働き方」についてなんですが、荒野の事例を使ったアンガーマネジメントの話などもしたいと思います。

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