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「101回目のプロポーズ」ってドラマを覚えているだろうか?武田哲矢と浅野温子が主演だった奴。若かった自分は、そのドラマに多大な影響を受けていたような気がする。
武田哲矢は「50年後の君を今と変わらず愛している」(10年後だったっけ?)という言葉を浅野温子に贈る。それに対して、もうひとりの男(名前忘れた。武田哲矢のライバル的存在)は今があればいいじゃないか、っていう考え方をしてた。
結局、浅野温子は永遠を誓った武田哲矢を選び、ハッピーエンドってドラマなんだが、そのドラマの最終回を見た自分は、くしくも「永遠」という言葉に惚れてしまう。
それからというもの、「永久なる誓い」とか「永遠の約束」という言葉に憧れてしまった自分は、未来と過去を意識し過ぎるあまり、今という「瞬間」をおろそかに生きてきたように思う。
要は、「変わらない」ということに執着し過ぎてたらしい。
「変化」を拒むあまり、過去を悔やんだり、未来を不安がったりして、今を生きていない。そんな学生生活を送ってきたように思う。
で、2000年22歳にして、遅れ馳せながら、初めて悟ったこと。
「永遠」と「一瞬」は、切り離して考えるものじゃない。今を噛み締めながら生きることによって、過去が活きてきて、未来が輝く。
後悔したり、躊躇したりせずに、今この瞬間を真剣に見つめて、心の赴くままに生きることこそ、最終的に「永遠」に繋がっていくのではないか?今はそう思ったりするわけであり。
「永遠」と「一瞬」、それは表裏一体のもの。
何だか宗教チックだが、正月哲学、第2章完。
(2002/01/05)