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先日、叔父の葬儀で北海道美瑛町に帰ってました。
62歳という若さで、天国に召された叔父。
通夜、葬式が終わり、最期の別離の時、叔母、従兄弟の泣き崩れる姿にかける言葉もありませんでした。
出棺の際、棺を持ちました。
掌にしっかりと感じた、ひとりの人間の命の重さ、尊さ、儚さ。
今、生きていること。それを噛み締めながら、生きること。
それが叔父への供養となることを信じてやみません。
そして、その2日後には、横浜にて幼なじみの結婚式。
新郎新婦の満面の笑み。祝福の拍手。母親の涙。
親友の人生の晴れ舞台に同席できた慶び。
全てが掛け替えのないもので、その場にいた人全てが幸福な気持ちで満たされた空間。とても素晴らしい式でした。
先週、肌で感じたもの。
友情、愛情。 そして、無情。
この世を生きる喜び、人を失う悲しみ。
言葉でどう表そうとも、陳腐な表現になるように思えるくらい、重く、そして深い。
疑いようのない事実。それは今、僕が生きているということ。
生きているからこそ、「今」を手にできる。
死を迎えれば、そこに「今」は存在しない。
このかけがえのない「今」をどう生きるか。
人生におけるこの究極の命題を常に心の片隅に置きながら、これからの人生を歩んでいこうと思う。
(2006/03/01)