父が死んだ日。

6月7日水曜夜に味スタで日本代表対シリア代表を応援して、帰宅している最中に実家札幌の母からLINEが来た。

父が吐血したと。

既に父は末期の食道がんで在宅介護中だったのだが、緊急で呼んだ在宅介護専門の医者の診断曰く、持って数日とのこと。近所に住んでいる姉が駆けつけてくれて、その日は母を支えてくれた。

僕は日付が変わる前に翌日の朝一のフライトをおさえ、仕事の調整メールを関係各所に送り、土曜に発つ予定だった日本代表イラン遠征のキャンセル手続きを終えたら、深夜2時を回っていた。

2時間仮眠を取って札幌へ。

3日前まで札幌に滞在し、自宅介護の手伝いをしていた時は自分でトイレにも行けていたし、会話も至って普通にできていたのだが、さすがに吐血のせいか父は体力を消耗していた。

それでも昼過ぎに兄家族が帰省し、5歳の姪っ子が甲高い声で「おじいちゃーーん」と話し掛けて頬にキスをすると、微笑みながら孫の名前を呼んでいた。

痛みを和らげる点滴のせいで意識が朦朧としている時間が長くなってきたが、最期の前夜に体調の良い時間帯がちょっとだけあって、父は片言で「しんぶん」「めがね」と欲しいものを意思表示し、自分の死期など興味がないようで、新聞の政治面、社会面を読んでいた。

最期の最期まで人間らしく生きようとする父の逞しさを目の当たりにした家族はみんな、微笑みながら涙していた。

最期は家族全員に見守られながら、苦しむことなく逝きました。

担当医「こんなに理想的な逝き方は見たことがない」

健康な時に父も含めて、家族みんなで話し合ったのですが、「最期まで人間らしく生きたい」「最期は自宅で迎えたい」という父の希望に沿った逝き方でした。

担当して頂いた医師も「言葉は悪いですが、こんなに理想的な逝き方はあまり見たことがない」と言っていました。

がん治療のひとつの選択肢である緩和ケアについて、僕は今後、医師や専門家にも取材して、僕ら家族の事例を客観的にまとめた記事を書きたいと思っています。それが物書きとしての最良の供養かなと。家族の了承も得ました。

イラン行きはキャンセルしましたが、その次の旅程のロシアコンフェデレーションズカップから現地入りします。

仕事関係の人がこのブログを読むと、「忌引き使って海外行ってんのか!」と思われるかもしれませんが、2カ月前から提出している稼働計画通りなので、ご了承ください。

【201712追記】半年後に続編を書きました。

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