批判しない人生

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ここ2年ほど、僕は人と口論したことがない。

新入社員としてアサインされたジョブで、狂犬というあだ名を付けられた頃から比較するに、とんでもない変化のように思う。

職業=旅人になってから、自分の内外に関わらず様々な変化が起きたが、ある確立したスタンスとして、「何事も批判しない」立ち位置に僕は辿り着いた。

 

 

何も僕は、「批判する人」を否定しているつもりはない。

この世の中において、いろんな事象に対して反対意見を述べ、物事をよりよい方向にもっていく人々というのは、政治家や企業家などで絶対に必要なわけで。

 

 

また、何も僕は、どこぞやの宗教のように「全ての罪を許しなさい」という悟りを開いたわけでもない。

善人面するつもりは毛頭なく、悪い言い方をすれば、批判の元となる火種に対して、「それってしょーがなくね?」となかば突き放す感じで距離を置いているだけ、と捉えることもできる。

 

 

ただ僕は、自分の範疇外にある案件については、手の届くところまで行って、事実を掴んでから意見を述べたい、という意向を持っている。

サッカー現地観戦しかり、中国の一連の問題しかり、とりあえず現場押さえた上で、ファクトベースで自論を展開したい。

情報に踊らされることなく、自身の経験に基づいた見解を大事にしたい、という考え方。

 

 

個人レベルの人間関係でいうと、ムカつく行為や納得できない待遇を受けても、相手の育った環境やバックグラウンドを尊重した上で、右から左へ受け流せるようになった。

決して心が広くなったわけではなく、いろんな国籍・人種の外国人と触れ合っていると、そうやってしれっと流さないと毎日やってけなかった、というのが正直なところ。

議論を交わす以前の問題として、立っている土俵が違うんだから、がっぷりよつになれなくね?というスタンス。

相手の言動を否定しないというスタンスは、交友関係の潤滑油となり得るが、その一方で、このスタンスはいつも滑らかな状態を保ってるだけで、歯車が噛み合う協調関係を構築するには向いていない。意見をぶつけ合いながら、お互いを磨き上げるような深い人間関係を最近築けてないように思う。

これは今後の課題かと。

 

 

まずは、流離い旅人としては、この批判しないスタンスで、今後も世界をのらりくらりと渡り歩いていこうと思う。

で、2~3年先の日本着陸後の新ステージを目指して、また新たな、自分独自の「立ち位置」を見い出していきたいなと。

そんなことを思う、上海独りの夜w

(2008/05/16)

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