過去ブログから残しておきたい文章を移行しています。哲学的なエントリー一覧はこちら。
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自分なりに勝手に定義してみた。
富裕層
一定の富を築いて、裕福に暮らす人々
浮遊層
根を張らずに流離いながら暮らす人々
言わずもがな、自分は浮遊層の人間である。富裕層なんて目指すわけもない。
以前、「安定」とは何か?という日記で同じような内容を書いたが、どこにも根を張らずに、空中を漂いながら営む生活ってのは、世間一般的に見れば不安定な人生と捉えられがち。
だが、自分自身の軸さえブレなければ、これほど安定している生活はないと考える。
なぜならば、外部要因、いわゆる環境に左右されないから。
「安定」という言葉の意味を2つにカテゴライズするならば、ひとつは自分自身の安定、もうひとつは外部環境の安定だと考える。
外部環境とは、財産だったり地位だったり、富裕層が保有するものが多く当てはまるかと。
昨今の世界恐慌の中で、外部環境に依存する安定こそ、不安定だと自分は認識している。
根を張った土壌が汚染されたり、大船に乗った気分でいたらその船が沈没したり、ここ最近、そんな話ばかり。
そこで、自分がそのまま環境の変化の道連れになって、枯れてしまうか、溺れてしまうかは、自分自身の軸次第。
そういった意味で、自分は自身の軸をより確固たるものにするため、世界を彷徨いながら、はぐれメタルを追いかけながら、もうしばらくの間、浮遊層であり続けたいと思う。
そしてまたいつか、どこかに根を張ったり、船に乗ったりする時が来て、万が一被災したとしても、自分自身の「軸」に捕まってやり過ごせる器量を持っていたいと思う。
(2008/11/06)