さようなら 俺たちの都倉賢

公開日: : 最終更新日:2018/12/21 Jリーグ , , ,

クラブの看板選手が自らの意志で移籍を選択して、我が愛するクラブを去る決断をした際、サポーターの反応は人それぞれでしょう。

1.愛情の裏返しで憎悪に満ち溢れる人
2.今までの貢献に感謝し、快く送り出す人
3.失恋したかのように鬱状態に陥る人
4.鉄の意志で無関心を決め込む人

幾度となく理不尽な移籍を経験してきている熟練サポーターは、4番目の鋼のメンタルでやり過ごす術を既に身に付けているんでしょうが、まだ札幌サポになって9年目の僕は1番、2番、3番の感情を行ったり来たりする躁鬱状態で、ここ数日過ごしてきました。

どのスタンスがサポーターにとって正しいかとか、そういうのはないと思います。それぞれがそれぞれの感情を持って、この移籍を受け止めればいい。

コンサドーレの歴代最多ゴールの記録保持者である都倉賢選手が、セレッソ大阪に完全移籍することが正式に発表されました。

僕の持っている赤黒ユニフォームの中で唯一、ネーム入りのユニフォームが背番号9のTOKURAでした。歴代の選手の中で最も思い入れのある選手、と言っても過言ではありません。

そりゃ年俸倍になるなら移籍するよね・・・。いやでも今までずっと語ってた「札幌愛」は何だったの?いやいや、コンサドーレが今J1いるのはとっくんのおかげだから感謝しかないでしょ・・・。そんな色んな思いが交錯します。

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昨晩、この5年間の思い出に浸りながら、感傷に浸ってました。

気持ちの整理なんてこれっぽっちもついてないですが、この5年間の思い出を写真で振り返ってみようと思います。

移籍1年目はまだ背番号39でした。何気なく撮ったこの1枚、すごく思い出深い写真。

移籍1年目に、J2ベストゴール決めてます。これはマジでやばかった。

2015年には自分、札幌の個人スポンサーとしてのぼり旗作ってもらったんですが、運営スタッフにこんなシュールな写真を撮ってもらいました。

札幌3年目となる2016年は自身、プロのキャリアで初となるハットトリックもコンサドーレで体験。

ライターとして取材もさせて頂きました。

2017年には、敗戦後に怠慢なプレーをしたジュリーニョに切れて、ピッチ上で通訳のウリセスにくってかかるシーンもありました。とにかく熱い男でした。

2017年9月の磐田戦、とっくんの第1子誕生に皆でゆりかごダンスしたよね。

スポンサーとして札幌の運営に宣伝をお願いする時、ほとんどの機会でとっくんを指名させて頂きました。

今年のロシアワールドカップの日本代表23人メンバー発表では、都倉賢のサプライズ選出のごくわずかな可能性にかけて、固唾を飲んで見守りました。

今年9月の北海道地震の時は、自分も被災者であるにも関わらず、道民に寄り添ってくれた。
つい3週間前の最終節に向けて、とっくんが繰り出した「行くぞACL」企画は多くの札幌サポーターを巻き込んで盛り上がりました。

この5年間を振り返ると、本当にたくさんの思い出が詰まってて、おっさんでもセンチメンタルな気分になります。


Googleフォトから写真をかき集めてみたけど、この5年の思い出が走馬灯のように流れてきます。ただただ悲しいです…。

とはいえ、僕はプロの物書きでもあるので、セレッソサポーター向けに都倉賢の取扱説明書を近々アップしたいと考えています。メンタルきついけど、頑張ります。。

12/21追記
取り急ぎ「トリセツ」書き上げました。



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村上アシシ
村上アシシ

1977年札幌生まれ。職業は経営コンサルタント・著述家。「半年仕事・半年旅人」のライフスタイルを2006年から継続中。南アW杯出場32カ国を歴訪した世界一蹴の旅を2010年に完遂。サッカー日本代表を追いかけて世界中を旅してます。Jリーグではコンサドーレ札幌のサポーター兼個人スポンサー。詳細のプロフィールはこちら

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